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杨贵妃的墓在日本的传说

根据山口县长门市的寺院【二尊院】的古文书记载,公元756年从中国驶来小舟一艘,
有数名女子,其中一名就是本应在长安郊外の马嵬坡被杀的杨贵妃,由此推断杨贵妃当时
并非被杀,而是逃亡了日本。

楊貴妃の墓、山口に? 熊本にも残る漂着伝承
楊貴妃の墓 山口県に?
 「山口県長門市には楊貴妃の墓があり、地元では有名」――。読者からそんな便りが届いた。世界三大美女の1人と言われる唐の玄宗皇帝の妃(きさき)だ。さっそく世界史と接点を持つ小さな寺を訪れた。

 日本海に突き出た半島の中ほどにある長門市油谷向津具下(むかつくしも)の二尊院に着くと、大理石製の楊貴妃像(高さ3・8メートル)が出迎えてくれた。本堂では60代目住職の田立智暁(ただてちぎょう)さん(36)が白い手袋をはめ、桐(きり)の箱から二つの古文書を出した。55代目が1766年に地元住民の話をまとめたものだ。

 それによると、756年に近くの入り江に女性数人が乗った小舟が着いた。うち一人が唐の都・長安郊外の馬嵬坡(ばかいは)で殺されたはずの楊貴妃だった。女性はすぐに亡くなり、住民が境内に埋葬した。

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